高野山・奥の院



お墓への写真撮影御免なさい。


午前5:30。御祈祷朝飯前に
手をすすぎ礼をして一の橋を超えます。

奥州仙台伊達家供養塔。

ここは墓地といっても納骨するような墓ではなく
遺髪や遺骨の一部を分骨するような形が多く
山中他界の慰霊碑的な意味合いとなってます。

弘法大師御廟へ続く2kmの参道に
埋め尽くすような墓石は10万とも20万ともいわれ
古今東西正確な数は分かりません。

江崎グリコ供養塔

早朝から参る方々は
「おはようございます」と声を掛け合う。

武田信玄・勝頼供養塔

海軍整備科予備練習隊供養塔

仙台伊達政宗供養塔

上杉謙信・景勝霊屋

ここから先一端、恵光院に帰って再び参る。
朝靄も晴れ雨がぱらつく中午前8時頃か。
チェックアウトの10時まで長居してしまいました。

石田三成供養塔

明智光秀供養塔

信州真田家供養塔
幸隆、昌幸、幸村/信幸の真田三代らしいか。

本多忠勝は榊原康政と共に
地図に書いてないマイナー扱い。戦国武将は他にも多々。

大阪からのもより駅「極楽橋」は南海電鉄で。

漫画「孔雀王」で明と朋子が産まれた
姿見の井戸は小さかったり。

ビルマ方面戦没者供養塔

豊臣家供養塔の入り口
秀吉は最初は信長と同じく高野山と敵対するも
後に帰依し寺領などを寄進したので扱いが良い。

漫画「孔雀王」では信長の墓とされてた墓。
遠目でもすごいインパクトがありました。

実は無縁塚でした。
ここは古くから墓地があったため
新しい墓地を造ろうとすると無縁となった石塔が
出てくることが多いそうで。

赤穂浅野内匠頭供養塔

高野山の仏敵の信長はこっち。
実際も御廟の側にありました。

御廟前の水掛地蔵・明王・観音。

御供所

奥の院御廟や灯籠堂へ続く御廟橋。
以降は聖地なので撮影禁止です。

脱帽、礼をして橋を渡り「みろく石」を触って灯籠堂へ。
広大な廟の天井に無数の灯篭が埋め尽くしています。

灯籠堂の後ろが弘法大師御廟。昔のままの素朴な御廟ですが
突っ伏して般若心経を延々と唱える方や、四国からのお遍路の白装束で祈る方。
今も永遠の悟りを生きるお大師様の為に
蝋燭と線香をお供えしてお祈りしてきました。


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