荻野真の漫画「孔雀王」が好きで、今回西日本に行く機会があったので
和歌山県の高野山へ行ってみました。
裏高野は表の高野と表裏一体。
孔雀と独鈷杵(どっこいしょ)
印陀羅耶莎訶
(インドの蕎麦屋・帝釈天雷帝杵)
摩諭吉羅帝莎訶!
(マユキラテイソバカ・孔雀明王呪)
![]() ![]() ![]() ![]() 高野山へは南海電鉄で。山奥で単線ですが特急も走ってます。 大都会・大阪なんば駅から90分で終点「極楽橋」。そこからケーブルカー5分で高野山口。 |
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![]() ちなみにその前は九度山。 関ヶ原の戦いで徳川秀忠の大軍を上田城で足止めした 真田昌幸、幸村父子が戦後幽閉された所です。 真田紐を編んで臥薪嘗胆を期し、幸村はここを抜け出し大阪冬の陣に参戦しました。 |
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![]() ![]() せっかくなのでケーブルカーには乗らず、御山への最後は徒歩で。 不動坂は2.5km1時間の道のりですが、運動不足と泊まりの荷物が重くて結構大変でした。 午後1時すぎくらいか |
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![]() 高野七口の一つ不動口から入山。 お出迎えは無闇にでかい「お竹地蔵」様。 疲れた身体には神々しく見えました。 |
![]() 以前は七口全てにあったそうですが、現在はここだけ。 明治五年までは女人はここまでで待機。 月読様が主の所です(嘘)。 歩きは誰もいないので暇そうなお坊さんと テレビで見てた甲子園決勝の話で盛り上がりました。 まさかあの後、佐賀北が逆転するとは… |
![]() 今回お世話になった宿坊 (お坊さんのやってる参拝者向けの宿) 恵光院さん、に荷物をあずけて散策。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 1000m級の八山に囲まれた標高800mに 5km四方に開けた町。 幼稚園から大学まで山を下りずに暮らせます。 117の寺がありその内53ヶ寺は宿坊寺院。 |
![]() ![]() 総本山の金剛峰寺。 空海の時代は御山全体を金剛峰寺と名づけたそうですが 現在はこの主殿のみを指す名になってます。 |
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![]() 中には大唐の国際都市・長安から 密教をもって返ってきたせいか 中国ネタの屏風絵が多かったかな。撮影は禁止。 当時は偉いさんが暮らしたり学問を学ばせる場所か。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 境内自体は構わないのでアチコチをパシャパシャ。 石庭の広さは日本一。いただいたお茶請けが美味かった。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 宿坊・恵光院の精進料理。 ごま豆腐が美味。こざっぱりしてますが おひつの茶碗三杯のご飯が軽くいけちゃいました。 夏場でも冷房要らずで、こういう際ですからテレビも使わず。 |
![]() 月読様を拉致った鳳凰の気分を味わいたくて 夜、軽く分け入ったのですが雷が鳴って 怖くなったのですぐ戻りました。 光の球は魂じゃなくて多分水滴。 |
![]() 夜の自由時間を使って「般若心経」を写経。 大師遍照金剛とは弘法大師の事。 薄い印刷を筆ペンでなぞるだけなので誰でも出来ます。 1字ずつ2時間ほどかかったか。 筆先がちょっと割れてて困りましたが "弘法(じゃ全然無いけど)は筆を選ばず"ということで 黙々とそのままがんばる。 本来奉納する物なのですが、思い入れが出来たので もって帰ってきて壁に飾ってあります。 |
![]() ![]() ![]() パンフよりの写真。 阿字観という瞑想。足裏を腿の上に上げたあぐら、 結跏趺坐の姿勢で20分ほど。 サンスクリット語(梵字)の阿は 宇宙の象徴である大日如来を現し それを体内に同体させるという修行。 足の痺れが6割、煩悩が2割、残りの2割でがんばれたか。 天竺(インド)から「西遊記」の玄奘三蔵が持ち帰り 梵字の経典を漢語に翻訳。般若心経もそうだとか。 朝飯前の6時半から阿弥陀如来の本堂で祈祷と 毘沙門堂で護摩祈祷。 目の前で複数で重厚に読まれるお経は迫力があります。 軽くトリップしますね。宿泊客は外人さんが多し。 お坊さんは皆若いのにお経も英語もペラペラ。 |
はじめての高野山ではじめての宿坊。 大変興味深い体験をさせてもらい、ありがとうございましたした。 修行体験は高野山のどの宿坊でも出来るわけではないので 興味のある方は事前に調べておいた方がよいでしょう。 |
裏高野女人堂の主、月読様(クリックで水浴中)
高野山、最大の聖地 奥の院へ |
![]() 11時のバスに乗らないといけないので 残り1時間で駆け足。 山の正倉院と呼ばれる「高野山霊宝館」。 日本の国宝の6%があるそうな。 きらびやかな孔雀明王像(役小角は孔雀王の呪法を修持)とか あるそうで。中、観たかった〜 |
![]() 壇上伽藍・根本大塔。 人と比べれば分かりますがやたらデカイ。 側に高野開山の伝承の三鈷の松があります。 |
![]() 壇上伽藍・金堂 奥の院を金剛界曼荼羅、壇上は胎蔵界曼荼羅を 意味するという。 |
![]() ![]() 裏高野 第二位 権大僧正 日光様が 号令かけそうな大きな境内。 |
![]() 高野一山の総門である大門。 高野山の西の表参道、龍神口だけど 一番最後に。 |
![]() ここからバスでケーブルカー乗り場の高野山駅へ。 |
![]() 帰りはケーブルカーで〜。 阿修羅でも楽々。 観光客は外人さんがホント多かった気がしましたが 日本の世界遺産として胸を張れる一大霊場でした。 楽しかったけど、まだ三分の一くらい見落としがあっただろうなぁ。 |
帰ってきてから「『空海の風景(司馬遼太郎著)』を旅する」NHK取材班著で読みました。
空海はすごい面白い!
坂上田村麻呂の北伐の桓武帝の時代、空海こと弘法大師は四国讃岐で産まれ神童と謳われる。
地方豪族の親族の期待を受け奈良の平城京で学問を学ぶも、そこを抜け出し
近畿や四国の山野で放蕩の私度僧として空白の7年を修行して、三十一歳遣唐使船に駆け込み乗船。
シルクロードの都・長安、青龍寺で恵果阿闍梨(初の唐僧の。六祖までは渡唐したインドの僧侶で第一祖は大日如来)との一期一会から
真言密教第八祖阿闍梨=密教の正統後継者となり帰国。
密教はある意味最新最後の仏教。
仏教末期の7世紀に生まれ発祥のインドではヒンズー教により滅亡。
今はチベットと日本に残る。
口に真言、手に印、心に大日如来を持つ三密。
「大日経」と「金剛頂経」。金剛界と胎蔵界、二つの曼茶羅で世界を現す。
同じ遣唐使船に乗船してた最澄は天台宗比叡山延暦寺を開き、
空海は遷都された平安京の東寺(教王護国寺)に密教の中心道場や学校を作ります。
印と十万回もの真言による現世利益を求める貴族や、大唐の先端技術での土木治水工事に救われた民草、
書の達人として日中の知識人から…。全国に弘法大師、お大師さんの伝承を残す活躍をし
高野山・金剛峰寺を開き、奥の院に六十二歳で入定。
弥勒菩薩のいる兜卒天に旅し今でも修行しているとか。
四国八十八箇所のお遍路さんは「同行二人」お大師空海と共に旅をする。
現在、中国で密教は途絶えており高野山から逆輸入することで青龍寺・恵果空海記念堂に再興しつつある。
先にちゃんと調べてから行けば
ミーハーだけでなくもう少し色々楽しめたのかも。
東寺も行きたくなったし、壇上伽藍を駆け足で行ったのは勿体無かった。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
(空海「秘蔵宝鑰」)
二日目、金剛山へ |