私の独り言です。
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2001年5月10日
5月だと言うのにうっとうしい天気が続く。
こういうときは、体調を崩さないように気をつけましょう。
手洗い、うがいをかかさずに。
今日本屋で、無線と実験を買った。
オーディオのカルト雑誌?だが、まだ健在のようだ。
そういえば、コロンビアがオーディオ部門をデノンという別会社にした上に、
海外の投機会社に売却したらしい。
サンスイ、アカイに続き、また一つ国内オーディオメーカーが
身売りをする。
最近は、個人消費の情報関連費がかさむため、
オーディオハードそのものに、お金をかける人は少なくなったようだが、
オーディオメーカーが多すぎたのも事実だ。
だが、優れた技術をもつ専業メーカーが次々なくなっていくのは、
寂しい。
オーディオテクニカとか、ナカミチも、
何のメーカーだか良くわからなくなってきたし。
元気があるのはケンウッドと後せいぜい、パイオニアくらいだろうか。
失踪した彼とは、その後会っていない。
2001年5月9日
「ITプロフェッショナルを襲う心の病」という特集が
日経コンピューターの5月7日号に載っていた。
何でも月間200時間弱の残業続きで、
自殺したというケースが載っていた。
確かにそんなに残業したら、身も心も、もたないような気もするけど、
会社勤めの頃は、そんな感じだった。
でも、仕事以外にも、したいことや、しなければいけないことが多かったため。
仕事が忙しいからって、思いつめるようなことは無かった。
最悪首になってしまえば終わり、というサラリーマンとしての気楽さは有ったし。
当時は、再就職に困る気配は無かったし。
まぁ、このご時世で、私のような年齢でも、
派遣なら仕事に困らないのがこの業界の良い所かも。
今でも、案件がダブったら、1日12ペースで休み無しで
仕事したりするわけだけど、フリーで在宅だとどうしても、
仕事は切れるので...
特集を読むと、うつ病にかかっても、責任感が有って、
そのまま頑張ってしまった人は、結果的に自殺。
仕事ができなくなった人は、生き残っている。
いろいろ経緯はあるだろうけどね。
そういえば、3年程前、火のついたプロジェクトにヘルプで入ったら
火種を作った、当の本人に、失踪されたことが有った。
VB+オラクルという、案件で、
なんと、現場でテスト用のサーバーが稼動していないことが判明して、
それを隠していた当の本人が、失踪してしまった。
案件そのものは、たいした内容ではなかったので、
いくつかの、障害だけをクリアすれば、後は、手間仕事だけだったから、
私に振られた部分は何とか間に合わせたけど。
まぁ、自殺されたり、入院されるよりましだけど...
2001年5月8日
午前中、駅前へ本を買いに行く。
といっても、行き先はヨドバシカメラだ。
日経リナックスを買い、その足でLIVINのDIKEで買い物の帰り、
駅ビルでそば屋が、2月末までだった掛蕎麦190円をまだ続けていたので、
つい入ってしまった。
食券を買って食べる店だが、ボックス席があり、ウェイトレスもいて
へたな蕎麦屋よりこぎれいで愛想も良い。
蕎麦も、麺はともかく出汁はとてもまともで、
化学調味料で舌がしびれることも無い。
麺は、断面が丸いような、完全な機械打ち麺だが、
一応蕎麦らしい味もする。
今度は、関西風の出汁だと言ううどんも
試してみようかという気になる程度の味はする。
少なくとも、近所の蕎麦屋よりおいしい。
錦糸町の駅前では、吉野屋の牛丼も相変わらず250円だし。
マクドナルドも、平日半額だし。
一皿200円のすし屋もできたし。
これで場外さえなければ、住みやすいんだけどね。
リナックスマガジンの記事で、CyricIIIとDuron、PentiumIIIの比較をしていたが
CyricIIIはともかくDuronとPentiumIIIのCPUコアがそれほど性能差が有るとは思えない。
内蔵された、二次キャッシュの容量の差でこれほど性能差がつくのであれば
DuronやCeleronのようにコスト差よりあえて性能を落としたようなCPUを
販売するというのは、明らかに企業のエゴだろう。
よりモノを、よりやすく提供するのが正しいはずでしょう。
2001年5月7日
連休中に自動車の古い給油記録のノートが出てきたので
今日、午前中にEXCELに入力してみた。
レガシィのも分あるので気が向いたら、
車のページに貼り付けてみようかな。
どちらにしても、普段車を利用していないことがよくわかる。
半径2km圏内は、自転車を利用するし、
それ以外でも鉄道利用が主になっている。
さらに、250ccのオートバイもあるので、
いきおい車に乗る機会は少ない。
と言うより、実際、東京の都心部では、あまり車は便利ではない。
利便性からすれば、オートバイなのだが、
家族が心配するから、あまり乗らないようにしているし、
マナーから言うと、現実問題、路上駐車をするしかないので、
あまり良い選択肢ではない。
自転車も同様に、駐輪スペースが確保されている場所が意外と少ない。
となると、徒歩、公共交通機関、自動車と言うことになってしまう。
だが、都心部では公共交通機関の便利が悪く
自動車ではないと行きにくいところに限って、駐車場が少ないのだ。
まぁ、現実問題、そういう場所は路上駐車をしても、
取り締まりの対象にはならないような場所だが、
だからといって路上駐車が許されるわけではない。
仕方が無いので、最寄からタクシーを利用するか、
2km程度なら、徒歩でということとなる。
という理由で、通常は自動車を利用しない。
基本的に、長距離を移動するときは車で移動する。
よくいく順からだと、那須、志賀高原、兵庫県の香住、大阪かな。
だから、サンデードライバーどころか、
ホリデードライバーという感じだ。
それでも、年間、5000km〜7000Kmは、走っているようです。
今日の業務は、事務処理だけ。
夕方は、子供にせがまれて、近所の公園へ自転車で行く。
ついつい先に行くと、長男が怒って、
「パパの自転車は、オートバイじゃないの。」
とか言う。
確かに、ロードマンは、腐ってもブリジストン製だけのことはある。
冗談抜きに、一こぎで500メートルほど転がる。
明日からは、通常業務の予定。
2001年5月6日
夕べは、いくらなんでも早く寝すぎたのか、4時に目がさめた。
仕方が無いので、テレビを点けると、
スタートレックの劇場版をやっていたので思わず見る。
ウィリアム・シャトナーの相変わらずな演技に...
でも、まぁ、昔懐かしい顔ぶれを見ているだけで楽しい。
内容よりノスタルジーだ。
帰る用意をしているうちに、家族も起きてきたので、朝食。
子供に付き合って、ガオレンジャーを見、
どちらかといえば、父親のほうがはまっている、
仮面ライダーアギトを見終わったら、早々に、出発。
9時前には、高速道路に入り、1.3倍モードで、東京へ向かう。
午前中だというのに、交通量はそれなりに多い。
取締りを警戒しつつ、東京に向かうが、途中にそれらしい気配は無かった。
途中、佐野サービスエリアでくずぐすしたので、
東京に着いたのは11時前だった。
200kmで、23.45リットル、8.5km/lだ。
昔乗っていたマーチ・スーパーターボはキャリアレスだと、この2倍弱走ってくれた。
まぁ、重量にしても倍以上なんだけどね。重さ当たりの燃費なら似たようなものか。
家族が増えるとどうしてもお金がかかるわけです。
午後からは、メールを見たり、子供と公園に言ったりして、
完全休日モードだ。
やはり、場所を変えないと、なかなか休日モードに切り替わらないようですね。
2001年5月5日
今日は、ゆっくり過ごします。
朝から、落ち葉やごみを燃やしたりくらいで、
のんびりする。
昼前に、子供を公園に連れて行き、小一時間くらいあそばせた後、
靴の安売り店で子供の靴を買う。
この後、例によって、黒磯のファミリーレストランで昼食。
午後は、散歩や昼寝で過ごす。
風呂にゆっくり入って、夕食は、適当にすまして...
今日も早く寝よう、明日は朝から帰る予定。
2001年5月4日
昨夜は、寝つけなくて少し遅くまで起きていた。
(と言っても、10時半くらいだけど。)
今朝は少し寝坊してしまった。
(といっても、6時半だった。)
今日は朝から、使わなくなった市販アプリの整理をする。
整理してみると、半分以上はWindowsのものだった。
Windowsが一般的になったのは、3.0からだから1992年、
かれこれ10年近くお世話になっている。
と言っても、Windows95が出るまでは、MS-DOSに降りて、
MS−DOS版のアプリケーションソフトを使うなんて、ごく普通だった。
かの、一太郎もWindows版をWindows95が出るまで出さなかったような気がする。
もっともそれが、一太郎の寿命を縮めたのは否めないのだが。
ちなみに、私は松派なので、一太郎が標準ソフトではなくなったのは、
ありがたかったりすね。
どうもあのユーザーインターフェースには馴染めなかったから。
夕食は、例によって黒磯のファミリーレストランに出かけたのだが、
行きの那須街道は、しっかり渋滞していた。
裏道、抜け道を駆使して、黒磯に向かう。
那須街道を避ければ、込んでいるのは、那珂川を渡る橋だけ。
黒磯市内は、むしろ平日よりすいている。
帰りは、逆方向なので、対抗車線の渋滞を横目にスムーズに別荘まで。
栃木ナンバー、宇都宮ナンバーが多くて、日帰り客が大多数の様子だ。
今日は、子供に付き合って、ドラえもんと、クレヨンしんちゃんをみて、
さっさと寝よう。
2001年5月3日
昨日早く寝たので、6時前から目がさめる。
7時過ぎから、車から荷物を降ろして、本棚を組み立てる。
那須のガストは、ちょこみの様子なので、
昼食も黒磯のファミリーレストランですませる。
那須街道も、状態気味なので、迂回路を利用する。
ディスカウントショップをのぞいてから、別荘に戻る。
途中給油をしたら、240Kmでちょうど30リットル、燃費は8だ。
最大サイズのルジェットバックを付けていてこの燃費なら、良しとしよう。
天気が悪いので、今日は一日、本の整理に徹することにした。
今回持ってきた雑誌のバックナンバーは4月末に運んだものと合わせて、
引越し用のダンボール8箱有る。
本を2階に運ぶだけでも、思いやられるが、
今回は、6歳の長男がずいぶん手伝ってくれたので、
筋肉痛だけはまぬがれそうだ。
本棚を組み上げ、本を並べているうちに、夕食の時間になる。
夕食は、女房の手料理、と言っても、カレーだ。
子供に合わせて、何十年ぶりかにバーモントカレーの甘口に挑戦だ。
カレーだと思うと、なんだかなぁだが、別の食べ物だと割り切れば、
これはこれでそれほど悪いものではない。
子供に付き合って、ポットモンスターを見あと、風呂に入る。
明日も、外に出られないようなら、他の荷物も屋根裏に上げてしまおう。
古いMS-DOSの市販パッケージソフトがほとんどだが、
当時のパッケージって分厚いマニュアルがたくさん入っていて、
結構な重さなのだよねこれが。
今日も早く寝ようか。
2001年5月2日
昨日早く寝られたので、今日はいつもより1時間ほど早く起きた。
というわけでもないが、9時までにAccessベースの物の修正を1件、
機能追加を1件片付ける。
銀行へ行ったり、買い物をしたりした後、出かける準備。
別荘に持っていく、スチール本棚の棚板、天板、床板を2セットを
掃除する。側板は去年の夏に運んである。
雑誌のバックナンバーの詰まった、ダンボール箱4つ
食品の入ったケースを一つ、スキー合宿に行くようなバックを一つ
紙おむつ1パック、ショッピングバック1つ、デイバック一つ、
ボストンバック2つを入れても、レガシィの荷室はトノカバーがしまる。
後子供の足元に、デイバックが2つ、ショッピングバック1つを押し込んで
車内の終わりだ。
ルーフバックには、掃除した、スチール本棚の棚板、天板、床板を
2セットと、ベビーカーと、長男のキックボードをつむ。
後は長男が下校しだい出発だ。
大阪方面から電話があったりして、出発したのは3時15分。
連休は例によって、渋滞さえなければペースは速い。
基本的に、1.4倍モードでと思っていても、流れに乗ってしまうと、
1.6倍モードに、突入してしまう。
取り締まりは、対抗車線で白い覆面車一台のみ。
快調にかっとんで、4時40分には那須に到着。
黒磯のファミリーレストランで、夕食後、
スーパーで食料品を買い込んで、別荘へ向かう。
さすがに、連休のなか日だと、那須街道も大して渋滞しない。
とはいえ、要所要所でしっかり込んでいるので、
できるだけ迂回することをお勧めする。
別荘到着は、7時前。
9時前には、とっとと就寝だ。
2001年5月1日
今日から5月。
半年ぶりに、書籍の整理をすると、あっという間に別荘行きの
雑誌のバックナンバーがダンボールに4箱出来上がり。
階段当たりに、山積になっていた、ここ半年に購入した書籍を
整理して、雑誌は本棚のバックナンバーと入れ替えた。
つまり最低でも、ダンボール4箱分の雑誌を、2階から3階に運んで
ダンボール4箱分の雑誌を、3階からパーキングまで運んで、
車に積み込んだというわけで、もうすでに全身筋肉痛が始まっている。
さらに、仕事関係の雑誌で定期購読しているのが17誌あることが判明した。
日経バイト、日経コンピューター、日経パソコン、日経エレクトロニクス、
日経ソフトウェア、日経Windows2000、月間ASCII、ネットワークマガジン、
SOHOコンピューティング、Dos/Vマガジン、Cマガジン、VBマガジン、
DBマガジン、MSDNマガジン、デジタルバイヤー、日経リナックス、
リナックスマガジンと、実に満遍な購読している。
一冊読むのに、1時間として、一月当たり、丸一日は雑誌を
読んでいることになる。
後会報として送られてくる、大阪人、JAFメイト、アットニフティ、
JCBゴールドとかも、結構しっかり読んでいるわけだから...
まぁ、世間並み?に、飲む、打つ、買うをしている時間は無いわけで。
いきおい、友人とのコミュニケーションも電子ベースが多くなるわけ。
会って話すのは、エンドユーザーか、営業の人がほとんど。
同業者とは、やはり電子ベースのコミュニケーションとなる。
20代の頃は、実家の手伝いをして、喫茶店のバーテンをしていた頃の、
毎日何十人もの定連さんを相手にしていた生活とか
冬場スキースクールで1シーズン百数十人の女子高生を
レッスンしていた頃とは打って変わった
家族以外の人とはほとんど接しない、毎日を送っている。
どっちが、良いかって言われれば、今の生活のほうが、
私には向いているような気がする。
実は、人の顔と名前を覚えるのが、ひどく苦手なのです。
今のような、晴耕雨読の生活は捨てがたいが、
最近、晴耕続きで「仕事が切れない」、
雨読「暇で仕方が無いので勉強をする」が、
余りないような気がするけど、きっと気のせいでしょう。
明日は、午後から那須の別荘へ、本とかの整理に行くことにします。